
結局、仏教って何?
私が悩まされている原因を
見つけられる
私たちは「自分らしく生きていければよい」と思っています。
人が嫌がるようなことは何もせず自分なりにがんばっているけど、「自分はなぜこんなにダメなんだ、自分がイヤになる」と思うことは誰にでもあることかもしれません。
こうした思いを持ってしまうのかなぜか? というのがお釈迦さまの問いです。
お釈迦さまは、「仏説無量寿経」というお経の中で、次のようにおっしゃいました。
世間の人はまことに浅はかであって、みんな急がなくてもよいことを争いあっており、この激しい悪と苦の中であくせくと働き、それによってやっと生計を立てているに過ぎない。身分の高いものも低いものも、貧しいものも富めるものものも、老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂い悩むことには変わりがなく、あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである。
このくだりのあとには、「なければないで悩み、あればあるで悩む」と説かれています。結局、人は煩悩という欲があるから悩んでしまうようにできているとおっしゃいました。
社会の中では、「評価」がつきまといます。誰かから「評価」されても心から喜べず疑ってしまう。「評価」されなかったらされなかったで腹が立つ私。
よくよく考えますと、「人が人を評価すること」と、「生きている人みんなが持っている人としての価値」は別の次元のことです。でも、「生きていることがイヤになる」のように悩む。「結局、社会が変わってくれなければ、私の悩みはなくならないじゃないですか!!」と思っていた私。
お釈迦さまの問いは、「人はなぜ悩むのか?」です。
「私も社会の価値観をつくっている一人かな?というように、私というものを問い返しましょう」というのがお釈迦さまの声かけです。
私が悩まされている原因は、どこにあるのでしょうか。
悩みかけたときに、悩まないようにして問題の所在をうやむやにしてやり過ごす毎日。
それは、結局は問題を先送りする毎日。
「私には欲がないから、悩みなんてありません」という方は、腹も立てず落ち込むこともなく日々お過ごしのことと思います。
私は悩みを解決したいから、お釈迦さまの教えを聞きたです。
悩まされる原因が______にあったんだ、と気づかせてもらうことが、今の私を落ち着かせてくれます。悩みはまったくなくなっていないのに。
あなたは?
広報部B