
結局、仏教って何?
仏のモノサシ
~「生きる」の定義~
お釈迦さまの問いは、「生きるとはどういうことか」というものでした。人間の世界は相対語を使った相対の世界ですが、「生きる」という言葉は相対語ではありません。なぜなら、「生きる」の反対語がないからです。ですから、「生きる」とはどういうことか、と問われても説明することはとても難しいものです。
「生きる」の相対語つまり反対語は何でしょうか。と問われたら、ほとんどの人は「死ぬ」と即答します。自信たっぷりに。
では、「死ぬ」の反対語は何でしょうか。と問われたら、ほとんどの人は少し立ち止まり即答できません。考えたことがない証拠です。
よくよく考えてみると、「死ぬ」の反対語は「生まれる」です。この世に生を受けることを「生まれる」と言います。この世に生を受けたから、いつか必ず、この世の縁が尽きたときに命を終えて「死にます」。
そこで再び同じ問いが出てきます。「生きる」の反対語は何でしょうか。
ここではじめて難しい問いだと気がつきます。本当に難しいです。反対語がないのです。
反対語があれば、生きるとはどういうことかが見えてくると思いますが。難しいです。
「生きる」の反対語を人間は持ちあわせていません。だから、理解できません。
かつて、有名な哲学者何人かが議論して「生きる」の定義を、絶対語として結論づけたそうです。
その結論は、「生きる」=「ただ存在する」だったそうです。
お釈迦さまは、「生きる」ということを説明する絶対語を人間が持ちあわせていないために、人間が持ちあわせている言葉、人間にも理解できる相対語をとにかくたくさん使って説明するしかなかったのです。
ですから、悩みを持った人がお釈迦さまの前に来て、悩みを打ち明けたとき、その一人ひとりに、その人にわかるように丁寧に説明されました。何が原因で悩んでいるのか、どのように考えたら突破口があるのか。
お釈迦さまが語られた話を「説法(せっぽう)」と言い、のちに弟子から弟子へと引き継がれていって活字にしてまとめられたものを「お経(きょう)」「経典(きょうてん)」と呼んでいます。一人ひとりに説かれたので、当然ですが、ものすごくたくさんあるわけです。日々、多くの方が悩みを打ち明けに来られたので説法も増えていきました。ですから、お経の数がたくさんあります。
仏教にたくさんの宗派(しゅうは)があるのはこのためです。
仏教を何回も聞かせていただいて、「生きる」とはどういうことかを学びましょう。
広報部B